登り窯の窯焚きと薪

1992年、信州・泰阜村に自ら登り窯を築窯しました。瀬戸系の古い形の窯です。
この窯で30年近く、50回以上登り窯を焚き続けてきました。

私達の登り窯は、斜面に4部屋が連なり、階段状に登っていく形態の窯。 一番下は胴木間という燃焼室、その上に3つの焼成室(1の間~3の間)が続き、一番上は煙突になっています。 お茶碗でいえば一度に1000個以上の作品を焼くことができ、作品を窯に詰めるのに4日間、窯焚きに3日間、そして窯が冷めて窯出しができるまでに一週間ほどかかります。
使う薪は地元の赤松のみを600束ほど。それらを里山の徐間伐を兼ねて自ら山から伐り出し、2年ほど乾燥させてから使っています。
陶土を薪で焼いて器を作ることは地道で素朴な営み。手間を惜しまない丁寧な仕事を大切にしています。
窯を焚く以上に重要な仕事が、作品を窯に入れる窯詰め作業。 窯詰めは窯焚きの成否を決める緻密な仕事です。

窯の中は場所によって温度が違い、釉薬もそれぞれに融点が異なるため、釉薬の種類によってその作品を最適な場所に入れていきます。 そして、炎は作品の間をぬって煙突に向かって流れるので、窯の中の作品の詰め方で炎の通り道が決まり、作品の置き方のバランスが悪いと炎がうまく流れません。

窯詰めが終わるといよいよ窯焚き。 3日間続く窯焚きは、まず初めに一番下の胴木間で小さい火で焚き始め、徐々に炎を大きくしていきます。この胴木間だけで2日間焚き続け、窯全体をしっかりと温めます。
信楽や伊賀などの自然釉の作品は主にこの胴木間で焼きます。無釉の陶土に炎と灰が降り掛かり、融け合ってできる自然釉の作品は薪の窯だけのものです。
3日目からは胴木間の上の1の間という焼成室に細めの割り木をくべて一気に温度を上げ、2の間、3の間と、一部屋づつ順に焚き上げていきます。 灰釉の作品が入っているのは、この1の間から3の間です。
窯の状態を見極めながら夜も休むことなく焚き続け、赤松の薪だけで1300度近い温度まで上げるのです。

最後の3の間を焚き始めると、煙突からは龍のような炎が噴き出します。 1300度の窯の中は白く目が眩むほど明るく、薪くべの度に肌を突き刺すような熱さです。 釉薬が十分に融けると、器もまばゆく輝いて見えます。 3の間が焚き上がると煙突を閉め、窯のすべての隙間を土で目止めして窯を閉じ、60時間近い窯焚きが終わります。
この窯焚きに使う薪は地元の赤松。 赤松は脂が多くて熱量があり、炎も長く伸び、昔から焼物の薪には最上とされてきました。 薪の炎が器に美しい緋色を付け、ビードロと呼ばれる深い色合いの自然釉を作ります。 その豪快で自然な風合いは、お茶の世界などでも重用されてきました。
薪で長時間じっくり焼成することで器はしっかりと焼き締まり、より丈夫になります。 丁寧に仕立てた灰釉も、登り窯の力によって深い色合いが引き出されます。

現代では薪で焚く窯はとても貴重になってしまいました。薪窯はたくさんの煙や炎が噴き出るため、市街地での窯焚きは難しいのです。 燃料の赤松も大量に必要で、木々に恵まれた地域でなければ薪窯を焚くことはできません。
私達の工房がある泰阜村は、かつて林業が主な生業で、森に生かされてきた村です。しかし時代が移り変わり、森は手入れがされず、荒れてきています。 私達はそうした森を自ら徐間伐し、山から出して登り窯の薪に使用しています。
徐間伐した森は日差しが入るようになり、明るくなった山では新たな若木が芽吹き、山菜やキノコなど多様な生き物が増えていきます。
薪の窯を焚くことが地域の森を壊すのではなく、薪を得ることで健やかで元気な森になることを願っています。
昔ながらの登り窯焼成による焼物の美しさは格別なものがあります。 その美しさは天然の草木による灰釉と赤松の薪の力、まさに森の命の恵みによるものです。

私達の作品は、地域に元気な森と里山があってこそ。 人の暮らしや営みと自然との豊かなつながりが、器に宿っていると感じます。

その自然の息吹も感じられる器をぜひ直に手にとってご覧いただき、みなさまの暮らしを彩る器として末長くご愛用頂ければと思っています。
