自然釉とは

自然釉とは、窯の中で薪の灰が器に降り掛かり、1300度近い高温で、自然と釉薬状になったもののこと。
草來舎では赤松を薪として使っています。赤松は火力が強く火足も長く、瞬時に燃え尽きてくれるので、高温を作りやすいのです。
林檎や楢などは静かにゆっくり燃えるので、ストーブなどには向いていますが、窯焚きには使えません。
上の写真は右が素焼きの状態。左が自然釉が掛かったもの。緑色のガラス状の部分が、赤松の灰が自然釉となった色です。
ガス窯などで焼くと真っ白になる土が、灰がたっぷりと掛かった場所は緑色のビードロに、そうでない場所は僅かな鉄分が引き出され、緋色となっています。
ヒトが野焼きで焼き物を焼いていた土器の時代には、釉薬は存在しませんでした。
焼成温度が700度~800度くらいの土器では、薪で焼いても灰は融けて釉薬状にはならないのです。
ヒトがやがて窯を発明し、焼成温度が1200度近くになってくると、窯出しされた器の表面に何やらガラス状のものが・・。
それが釉薬の発見。灰が高温でガラスになるのなら、予め灰を塗ったものを焼けばいいのではないか。
以来、ヒトは工夫を凝らしながら、器を彩る様々な釉薬を生み出してきました。
上の写真の鉢は、松灰を釉薬に仕立て、予め掛けて焼いたもの。
しかし自然釉は、窯の中で赤松の灰が炎と共に器に降り掛かるので、どこにどう掛かるのかは、窯から出してみるまでは分かりません。
またガスや電気の窯と違い、薪で焚く窯の器は、均質な炎で焼かれることはありません。
煙に巻かれ、熱い灰を含んだ炎にさらされ、燠に埋もれ、酸化や還元を行き来し・・。
そんな中で、器は様々な表情を、まさに焼き付けられます。
ビードロ、焦げ、緋色、窯変。
同じ壺の両面。肩には豊かに自然釉が掛かり、黒い部分は燠に埋もれた焦げ、グレーの部分は強還元による窯変。これも元は真っ白い土。釉薬は一切掛けておらず、自然釉のみ。登り窯に3回ほど入れて焼いています。
二つと同じものはなく、古来日本人は、この武骨で荒々しく変化に富んだ焼きを、景色として愛でてきました。
世界の他の地域では、自然釉の焼き物はあまり見られません。
この激しい焼きは、1300度近い高温に耐えられる信楽や伊賀などの土があってこそだからです。
高温で焼き締まる信楽や伊賀の焼き物は堅牢で、昔から民具としても重宝されてきました。
「自然釉」の美しさは、そんな素朴さと人々の日常の営み、実用性にも裏打ちされています。
上の写真は自然釉の筒花入れ。先出の写真の壺は窯の中で立てて焼いていますが、この花入れは窯の中で横にして焼いています。
このように赤貝の貝殻に粘土を詰めてその上に花入れを寝かせます。窯の床に直接置くと、自然釉が流れて床に融着してしまうからです。
横にした花入れに降灰し、融けて流れ、花入れの下の部分に雫のように自然釉がたまります。
下になった面は、自然釉がたまるだけではなく、燠に埋もれた部分や、赤貝の貝殻の跡など、様々な表情が生まれます。
上になった面は、自然釉が豊かにかかり、同じ花入れでありながら、全く別の表情。
見る向きでまるで別の物のように見えるのも、自然釉の器の楽しみのひとつです。
下の写真も同じようにして焼いた自然釉筒花入れです。
花を生けても、置く向きで全体の雰囲気が変わるので、生ける花によってどこを正面にしようかと考えるのも一興。
そして、完全に燠に埋もれると、このような炭化した状態に。
強還元で灰は銀色に。ゴツゴツとした肌も、お使い頂くうちに濡れた岩のような風情に変わっていきます。
この俎皿は、窯の中で立てて焼きました。下半分は燠に埋もれて炭化、上の方には自然釉が掛かっています。
渓流の淵のような趣。自然釉は、まさに自然の美しさに例えられるような焼き上がりになります。
元が真っ白い土だったとは信じられないほど。
この片口も元は白い土。内側には予め松の灰を少し掛けていますが、外側は自然釉。窯の中での向きを変えながら、3回ほど焼き直しました。
上の写真の片口は、白い土ではなく鉄分の強い赤土の作品。
赤土の自然釉は、より豪快で渋い上がり。
赤土は白土ほど熱に強くないので、窯の中でも奥の方のトンネルのようなところ、温度は火前ほど高くはありませんが、煙と炎が激しく通り抜ける場所に置きます。
白土の自然釉とは違い、目を凝らすと奥深くに様々な色が浮かんできます。
いずれも登り窯で3日間かそれ以上、赤松薪のみで焼き込まれた作品。
一回の窯焚きで景色が付かなければ、何回でも焼き直します。
眺めても、使っても、飽くことのない「自然釉」。
ぜひ、土と木と炎が織りなす二つと同じものがない作品を、草來舎の展示会などで手に取ってご覧ください。

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